韮山役所跡 国指定史跡

去る平成16年5月21日、文化審議会文化財分科会は、江川邸周辺を
「史跡韮山役所跡」とする旨を答申。平成16年9月、正式な公示がなされ、
韮山地区に5か所目の史跡が誕生しました。

 

史跡 韮山役所跡

 江川家は中世から続く豪族でこの地に館をかまえていました。
 その後、江戸時代には幕府の世襲代官となり、敷地内に韮山代官役所を設けました。 さらに明治時代には、韮山県庁、足柄県庁韮山支所 静岡県庁韮山支所、田方郡役所が置かれました。 
現韮山役所跡全景
(中央に江川家住宅、
手前に韮山郷土史料館)
このように、今回指定された範囲は、中世以来の江川家の住居であるとともに、1600年代初めから明治時代まで約300年間にわたって、江戸幕府、明治政府の支配体制を支える重要な場所であり続けました。
このように長期間、地域政治支配の中心となった場所は全国的
にまれで、その歴史的価値が認められて国の史跡に指定されました。

史跡指定の概要

1 種別   記念物史跡
 2 名称   韮山役所跡 
 3 所在地  静岡県伊豆の国市韮山字韮山 
             同      字平山
             同  韮山金谷字盲女島
 4 指定地域の面積等
            指定全面積    28,867u
            内公有地      1,320u

 韮山町の史跡

韮山役所跡は伊豆の国市韮山地区の5か所目の国の史跡に指定されました。
 従来の史跡、4か所は以下のものです。
  
1、 韮山反射炉

2、 願成就院跡 
3、 伝堀越御所跡
4、 北条氏邸跡

代官所や県庁として使われていた建造物は現存しませんが、江川家に残された数々の文書や絵図から、韮山役所の300年間を振り返ってみました



享保年間(1716〜1735)

 江戸幕府の世襲代官となった後の、江川家の囲い地の範囲を示す。
 門、母屋が描かれるが、境界は不明。



寛政年間(1789〜1800)

「伊豆国田方郡韮山古城図」 
 全体図             
韮山城址の絵図に代官所の
場所と範囲が描かれている。
「御役所」部分拡大図         
  江川砦と役所の間に棚列が、また
東と北には水堀がめぐらされている
韮山古城の全体図 役所跡拡大図


万延元年頃(1860)

「韮山屋敷鳥瞰図」
 明治22年頃に万延元年頃の様子を回想して描いたもの。
 北門(現裏門)から北にかぎ型に折れた塀が描かれ、その西側、城池沿いには、家臣の住宅が描かれている。
筆者は、江川家家臣、前田甲龍


明治初期(1868〜71)

 明治元年6月、旧韮山代官支配地を
引き継いで韮山県が成立。
代官役所はそのまま県庁となった。
 明治4年11月、足柄県に合併された後も、
支庁として使われた。

「韮山県庁官舎配置図」
 右図によって北門より東側に県庁の役所があり、西側には官舎が並んでいた事がわかる。
  現在この役所跡は、梅林と駐車場の一部となり、官舎部分は、韮山郷土史料館と民家になっている。

      韮山役所跡に関する説明は、市教育委員会社会教育課
               学芸員・山田康雄氏によるものです。


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