韮山郷土史料館過去の企画展示


平成22年3月5日〜

企画展「英毅〜名代官江川英龍の父〜」 

江川家35代、江川太郎左衛門英毅。幕末の名代官江川英龍(坦庵)の父親です。36代の英龍は、幕末に様々な偉業をなした人物として知られています。しかし、多方面にわたる英龍の業績は、彼一代で成し得たのではなく、江川家に代々受け継がれてきたもの、何より父親英毅の影響によって導かれたものです。
父である英毅の交友関係や教育によって、人格、学問・芸術、武術、代官としての素質といったものが受け継がれ、英龍の才能が開花したといえます。今回の企画展では、英毅の学問・芸術に焦点をあて、英毅の書いた漢詩や、英龍の描いた絵に賛を添えた扇面、弟である関川氏や息子英龍に宛てた手紙の一部を展示しています。

蕃船図(ばんせんず)」谷文晁画・松平定信(まつだいらさだのぶ)戯題 馬蹄篇(ばていへん)」江川英毅書


平成21年3月6日〜

今年秋に開催される国民文化祭に合わせ、今回の企画展では、いつもは写真でしか見ることのできない「絹本淡彩江川坦庵自画像」や「富士山画賛」、また7年間にわたる江川文庫総合調査で確認された古文書などを用い、坦庵の実像をたどっていきます。坦庵は、普段は質素倹約、必要な時には出費を惜しまない人でした。その坦庵が、英国船マリナー号の退帆交渉の際に大金を投じて作った「蜀江錦小袴」を国民文化祭期間中の10月24(土)〜11月8日(日)の間、特別に展示します。お見逃しなく!


蜀江の錦  

富士山画賛


平成19年10月7日〜

 平成14年度から5年間にわたって「江川文庫総合調査事業」が行われてきました。この事業は、古文書はもちろん、江川家に伝来した書画、典籍、工芸、武具等の歴史的資料を調査し、目録を作成するためのものです。平成19年3月には全3冊という大部な調査報告書も刊行され、それによって、これまで一部の資料を除いては正確に把握されていなかった江川家文書の内容が、ようやく明らかになってきました。 この企画展では、調査によって確認された江川家伝来の資料の中から、陶磁器・漆器・典籍などおよそ50点を展示しています。ほとんどすべてが初公開の資料です。

  
葵紋香合
井桁菊紋蒔絵鐙

    藤巴紋散花見弁当

平成19年4月13日〜

「伝えられてきたもの〜江川文庫総合調査の成果展T〜」を開催

  平成14年度から5年間にわたって、「江川文庫総合調査事業」が行われてきました。この事業は、古文書はもちろん、江川家に伝来した書画、典籍、工芸、武具等の歴史的資料を調査し、目録を作成するためのものです。平成19年3月には全3冊という大部な調査報告書も刊行され、それによって、これまで一部の資料を除いては正確に把握されていなかった江川家文書の内容が、ようやく明らかになってきました。

 この企画展では、書画・古文書・洋書の分野から、これまで公開されていなかったものを中心に、5年間の調査によって確認された様々な資料を紹介します。

谷文晁画 「清泉煎茶図」

岸駒画 「水呑虎図」


 平成18年11月23日

「中世北伊豆の寺院と神社〜発掘された祈りのかたち〜」を開催。

 平安時代末から戦国時代にかけての約四百年間を「中世」と呼びます。武士が台頭し、武家政権の興亡が繰り返されたこの時代を通じて、現在の伊豆の国市を含む北伊豆地方は、歴史的に重要な地位を占めていました。そのため、北伊豆には中世から続く寺院やその遺構が数多くあります。また、伊豆国一宮である三嶋大社(三島明神)をはじめ、伊豆山神社(伊豆山権現)など、由緒ある神社も少なくありません。これらの寺院や神社からは、人々の信仰に関わる様々な遺物や遺構が発見されています。
 中世の寺院と神社は、今日の私たちがイメージしているような、画然と区別された存在ではありませんでした。例えば神社の境内には神宮寺があり、別当職をつとめる僧侶が神事を取り仕切ることも珍しくなかったのです。そのため、神社から仏教遺物が発掘されることもままあります。
 今回の展示では、そうした出土遺物を中心に、日本人の信仰の原風景ともいえる神仏習合の時代、中世を生きた人々の祈りのかたちを紹介していきます。

伊豆山神社出土白磁四耳壺 豆塚神社鰐口



 平成18年3月3日

「韮山代官江川英龍の情報戦略」を開催。
 呼吸をするのと同じ位あたり前に、膨大な情報が行き交う、21世紀のわたしたちの暮らし。ネットワークに接続しさえすれば、居ながらにして様々な情報を入手することもできます。
 しかし、江戸時代末期の日本では、ただ座しているだけでは、一片の情報も得ることはできませんでした。逆に言えば、正確な情報をより早く入手することの重要性は、今日よりもずっと高かったのです。そうした時代に、幕府直轄領を預かる代官として活躍したのが、江川太郎左衛門英龍(坦庵)です。

英龍は、民政や幕府の海防政策遂行に力を発揮し、「名代官」と呼ばれた人物ですが、彼の活躍の背景には、幅広い情報収集活動と、その分析・活用がありました。
 この企画展では、江川家に伝来した資料を素材に、韮山代官江川英龍の「情報戦略」の一端を紹介します。


モリソン号図(江川文庫蔵)
大國士豊画 江川英龍像(江川家蔵)



平成17年9月3日〜

 
「最後の韮山代官江川英武」を開催。   
 今回の企画展では、江川英龍の五男にして、満9歳で韮山代官となった江川英武という人物に注目、彼の半生を振り返るための資料約50点を展示します。彼は幕府の代官でしたが、維新時には新政府に帰順して韮山県知事となっています。さらに渡米して8年間の留学生活の後帰国、内務省・大蔵省に出仕するなど、幕末から明治初期にかけての大変革の時代を、まさに身をもって体験した人物といえます。21世紀の今日、その「最後の韮山代官」の人生をたどることは、新たな変革期を生きる私たちにとっても、非常に興味深い体験だといえるのではないでしょうか。
 
慶応年間頃の江川英武像(写真) 中沢広光画、晩年の江川英武像



平成17年4月1日〜

「伊豆の国市の歴史と文化財」展を開催。これは、平成17年4月1日に伊豆長岡・大仁・韮山の三町が合併して誕生した伊豆の国市の原始・古代から近・現代にいたる歴史を、埋蔵文化財や古文書、絵図などを中心に紹介するものです。
 
仲道A遺跡出土 縄文土器 北条氏邸跡(円成寺跡)出土 宝珠水晶製品





平成16年 10月1日

 平成16年度後期企画展として
黎明期(れいめいき)の写真師〜(しも)(おか)(れん)(じょう)とその時代〜」を開催しています。
 
江戸時代末期、「写真」というまったく新しい画像媒体が日本にもたらされました。
下岡蓮杖スタンプ
 その新技術をいち早く身につけ、日本ではまだ珍しかったプロの写真師となったのが、下田出身の下岡蓮杖です。 この企画展では、蓮杖がどのようにして写真師となったかを紹介するとともに、彼の撮影した写真や、同時代に日本で活躍した写真師たち(フリーマン・ベアト・(うえ)()(ひこ)()ら)の作品など、およそ70点を展示し、黎明期の日本写真史を回顧します。百数十年前の風景や人々の姿を、当時の写真でご覧ください。きっと、色々な発見があるはずです。 
蓮杖が撮影した江川英武像





平成16年 4月1日

 平成16年度前期企画展として「下田湊と韮山役所」を開催しています。この企画展は、今年開港150周年を迎えた下田の歴史について、江戸時代およそ100年にわたって下田の支配を担当していた韮山役所(代官所)との関わりを中心に紹介するものです。

特に江川家所蔵の下田関係絵図は、
江戸時代の下田の様子を今に伝える
貴重なものです。


南京船図(江川家蔵)




 
平成15年 10月3日

 平成1510月3日〜平成16年3月30日までの予定で、台場(だいば)〜幕末の海防政策と江川坦庵〜」を開催しています。一大観光地としてにぎわう東京湾内のお台場地区。その名前の由来ともなっている「台場」は、今から150年前、外国船の来航に備えて築かれた人工の海上砲台です。そして、その築造を指揮したのが韮山代官江川英龍(坦庵)でした。

  この企画展では、江戸時代後半から幕末にかけての日本の海防政策の変遷と、江川坦庵を中心とする台場築造の様子、明治維新後に台場がたどった運命などを古文書や写真・図表を用いて紹介しています。

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